果樹園について
小野洋らん果樹園は 東京の西隣山梨県の西側に位置する「南アルプス市」にあります。
<br />約4haの果樹園では5月下旬のサクランボをはじめに
7月のスモモ
7月~8月の桃
9月~10月のヨーロッパ系を中心とした様々な種類のブドウ
を栽培する農家です。
アクセス
400-0213 山梨県南アルプス市西野1202
直売所 055-282-6267
車で⇒中部横断自動車道 白根IC下車5分
バスで⇒中央高速バス 新宿ー身延線・新宿ー白州線 上今諏訪バス停下車徒歩15分
小野洋蘭果樹園<br />
この南アルプス市西野地区は、山梨でも早くから果樹が取り入れられた地域であり、桃・サクランボは明治40年代に導入、当家でも3代目小野三七が明治の終わりから果物作りを行い東京神田の市場まで出荷した記録が残っています。4代目誠三は戦後高度成長とともに果樹の栽培面積は増え、6代目小野捷夫は新しい技術としてメリクロン培養によるシンピジュームの栽培を取り入れ、温室サクランボの導入、観光サクランボ狩りなどを進めるとともに、農薬や化学肥料を中心とした栽培方法から少しずつ比重を移し、県内の農業者と共に山梨自然塾を立ち上げ、大地を守る会・らでぃっしゅぼーや・生活クラブ生協など農協の系統出荷以外の取引先との関わりを強めてゆきました。続く7代目小野隆は、80年代後半よりパソコン通信による宅配を開始、県内で最初の農家によるHPを95年には立ち上げ、バス観光が中心だったサクランボ狩りからファミリー中心のネット予約によるサクランボ狩りの走りとなりました。その後地域の若手農家とグリーンツーリズムを中心としたNPO法人を設立。さらに市内の農産加工施設を活用したジャム作りをはじめとして、地域の農産物を加工販売する体制を作り上げるとともに、商工会とジョイントした完熟フルーツこだわり探訪を運営。小野洋らん果樹園も当初から、地域の美味しい果物をお客様に伝える伝道師として、商工会認定の完熟フルーツマスターとして活動しています。平成25年4月より8代目小野日嵩が茨城の日本農業実践学園を卒業し、果樹の栽培技術を習得しながら新たなスタートを始めています。
西野の果物づくり
この地は御勅使川(みだいがわ)扇状地の扇央部にあり、砂礫質で水はけの良い耕地は、「月夜でも焼ける」と言われた干魃地帯でした。水に悩み、お米を作ることが出来ないこの地では、伝承の中でも武田信玄の戦国時代から野売りの免状が出され、行商で身を立てることを余儀なくされた貧しい土地でもありました。明治時代になり、タバコ栽培・養蚕などの産業が山梨の産業の中心となる中、日照量が多く、水はけが良いこの地の利を生かし、舶来の果樹をこの地で栽培を試みるものがありました。明治の終わりに開通した中央本線を通じ、この地で栽培された、サクランボ・桃などの西野の果物は驚くほど高値で取引され、それを元手に、大正期にはガラス温室によるブドウ栽培も始まりました。実がつくまでに何年もかかるブドウ栽培の樹の間の勝つようにとメロン栽培を試みたところそれが大当たり。この地は次々とメロン栽培のガラス温室が立ち並び、昭和の戦前には中央本線の笹子トンネルを抜け甲府盆地に入る列車から、遥か西方の西野に立ち並ぶガラス温室がお日様に反射してダイヤモンドのような煌めきを放っていたとも言います。そんな温室群も戦時中の供出でめっきり数を減らし、戦後は数少なく残った貴重な果樹園は甘みを求める都市住民の要求に応えるように栽培面積を増やし、県選出の大物政治家金丸氏の肝いりで始まった地域一帯を網羅するスプリンクラー灌漑設備の完成により、長年の課題であった水の問題が大きく改善したことによりこの地域は山梨でも有数の果樹地帯として発展してきました。
盆地特有の夏暑く、冬寒い気候。一日で四季を体験するかのような昼夜の寒暖差。日本有数の日照量。扇状地特有の水はけのよい土地と南アルプスの水。果物の栽培の適地として、南アルプス市となった今も多くのお客様に果物の美味しさをお届けしています。